春のバルト3国の旅
2000年3月28日〜4月5日までの9日間
この旅行の計画に当たっては、今回もまた昨年の早い時期にアイスランドの旅として決め、2月末日の申し込み
期限日までそのつもりでした。前回の様に、ツアー不催行となる事はなさそうですが、やはり手配旅行の関係で
日程が合わなくなり、結局、以前行こうと思っていたバルト3国の旅となりました。
今回もまた一つ初めての経験が有りました。それは、成田まで電車で行く事でした。
今までは車で向かう為、駐車場、交通渋滞等到着まで色々大変でした。
日暮里での乗り換えに失敗して、そうJR側から京成に乗り継ぐ場合、池袋方面からでは後部車両に乗る方が
良いことが判りました。この時は、前の車両だった為、改札を出てから京成の改札を探すために20分位
掛かりました。成田までは、スカイライナーで60分、特急で70分で、15分間隔で何れかに乗れます。
JRの成田エキスプレスに比べると随分本数が多いです。
<バルト三国の概要>
このバルトの国々は、第一次世界大戦後の1918年にそれぞれ独立宣言しました。
この事は、彼らの中で強い誇りと成っています。
1940年には、再びソ連の侵攻により併合されてしまいます。
そして1988年のベルリンの壁崩壊に始まり、当然の如くこのバルトの人々の鎮圧された
思いは、押さえる事は出来ません。
その思いは、この旅行中の我々にも、今でも強く伝わります。
ソ連邦の時に於いても、彼らの自由なる歌の祭典は、定期的に繰り広げられていました。
そして、1990年にリトアニア、1991年にラトヴィア、エストニアと独立確認宣言致しました。
今現在では、ロシア系住民に対して必ずしも良い感情は抱いていないように見受けられます。
これも過去の歴史からすれば、いたしかた無いかもしれませんが、このバルトの人達には
歌の祭典という交流が有ります。
何時も言われることですが、憎しみからは何も生まれません。
ぜひ、この素晴らしいバルトの国々の人達がこの歌の祭典を世界に広げる事を願います。
バルト三国の概要
国名 |
リトアニア |
ラトヴィア |
エストニア |
首都 |
ヴィリニュース |
リーガ |
タリン |
首都人口 |
約60万 |
約80万 |
約40万 |
総人口 |
約370万 |
約250万 |
約150万 |
通貨 |
リタ |
ラッツ |
クローン |
交換相場 |
1リタ=26円 |
1ラッツ=180円 |
1クローン=6.5円 |
<旅行過程の概要>
1日目 成田空港をお昼に出発して、13時間位かけコペンハーゲンに午後4頃到着。
ここで4時間のトランジェット、特に買う物も無くただ待つのみ、出発ゲートが示されたのは、
出発40分程前で、エリアの隅の方のAゲートでした。
行ってみると数人が、腰掛けている。その後のタリン、ビィリニュースでも同じ事でしたが、
出発10分前位にならないと、搭乗口に集まってこない。
そんな訳で、暗いロビーでありこれから訪れるエストニアを想像せずには入られませんでした。
約40人乗りの高翼飛行機に、十数人程度の乗客でした。
航空会社名は、エストニアエアーでした。
若いスチュアーデスの笑顔は優しくて、おかげ様で先程までの緊張感は解れてきました。
二時間程度の飛行でしたが、夕食、機内販売サービスもあり至って快調にエストニアの
タリン空港に到着しました。
入国審査は、とても簡単、空港からホテルまでは、5〜10分程度でした。
ダウンタウの近くの高層ホテルで、歯ブラシ以外必要な品々はしっかり提供されていました。
部屋も広くて綺麗で、日本で想像していた事を遙かに越える出来でした。
窓から、タリンの夜景を眺めている内に、何時か行きたいと思いつつも簡単には行けないこの地に、
今ここに居るのだと思うと、目頭が熱くなり長い一日が益々長く成るようでした。
しかし何時のまにか、長かった一日に終わりを告げるべくベットに横たわっていた。
2日目 今日は、タリン市内の観光。日本で依頼していた英語のガイドさんとドライバーが、予定の時間9時丁度に
やって来ました。その後のリーガ、カルナス、ヴィリニュースでも同じ事でしたが、時間はかなり正確に
守られます。この日は、ガイドが女性のエヴェリン、ドライバーは20歳位の好青年のマーチンで、
用意された車もBMWでした。
まずは、この国の人達の歌に対する熱意に触れる事になります。広大な歌の祭典の会場。
森の中のセメタリーは、林の間に石盤を置き花が添えられていました。
タリンの海岸は、この時期まだ完全には解氷していません。更に湖等は、凍結したままでした。
このバルトの国々の地形は、平坦なところばかりで海抜400m弱が最高峰とのことです。
当然、少し高い所に行くと見えるのは地平線となります。
ダウンタウンで車を降り、三人で歩いての観光となりました。町は、昔のままでかなり古い建築が多く保存、
利用されています。道は、石畳でまだ凍結している所もありました。
昼食は、民族衣装のウェイトレスがいるオールドハンザと云うレストランで戴きました。
スープ、サラダ、パンは美味しく戴けましたが、メインにいたっては内容が良くわからなかった為満足
いくものではなかった。もっとも、それ以前に量的に十分であったことを付け加えておく。
午後の散策の後ホテルに帰りベットに横になったが、前日の時差ボケの為か気がつくと8時を廻っていた。
この日は特に夕食も取らず、再び熟睡状態に陥っていた。夜中に目が覚め、ホテル内の24時間カフェで
妻の為に、シュリンプ入りフランスパンと水を手に入れ、私はバーでビールを戴きました。
このフロアーでは、警備の人がエレベーターから出てくる人物等を監視していた。
そう言えば、夕方行ったショッピングモール等でも、一店に1〜2人の警備の人が買い物客を監視して
いました。やはり、注意しなければいけないことを物語っていた。
3日目 今日は、のんびりとダウンタウンを歩いて観光。美術館、歴史博物館、旧市庁舎等を数時間掛けて
見て回った。何れも、入場料は僅かなものであった。
遅い昼食はピザとしたが、チーズの量が多くて取り除いて戴いた。
ここで日本人らしきバックパッカーを見かけたが、彼に声を掛ける間もなく行ってしまった。
歩き疲れてホテルに帰り、預けていたスーツケースを受け取る。チップ以外、料金は必要無し。
ホテルを出て、ちょっと早いがタリン空港に着く。モニターでリーガ行きを確認、
チェックインカウンターNoが示されていないので暫く待つ。但し、この間一つのカウンターには
女性がいて誰も来ない人を待つている。彼女の上にあるモニターには、ビジネスクラスと示されている。
他には、10以上のクローズしたカウンターがある。この間ロビーには、10人程度しかいない。
出発1時間前になってもカウンターは示されない。しかし、別なモニターにはゲートNoが示されていた。
そんな訳で、彼女に聞くと“OK”との事でチェックイン、簡単な出国手続きを済ませ、出国ロビーで待つ。
此処にも2〜3人しかいない。免税店、スタンドバーもあるが、とにかく人が居ない搭乗まで後10分位だ
と云うのに…・・
エストニア製品の買い物をし、その残金をラトヴィア通貨ラットに交換した。
ついでと思い、100$を交換してもらった。すぐに馬鹿な事をしてしまったと
…・・またも高翼プロペラ機で定員40人位、今回は13人でした。
航空会社名は、バルチックエアーでした。
スチュアーデスの笑顔が良い、45分でリーガに到着。
現地の人達の後に従う。入国ゲートに係官がいないが、他の人達に付いて行きバッゲージカウンターで
待っていると、元に戻るよう指示され全員入国審査のやり直し?…
列に並びヴィザはどうするのだろうと思いながら、廻りを見ると
“VISA”という掲示版が見えた。直ぐに、予め書いていた申請書類とパスポートを係官に渡す。2〜3分で、直ぐ近くにあるバンクで費用を
払ってきてくれとの事で支払い、確認書を受け取り先程の係官にこれを渡しヴィザを受け取る。
別れ際に、彼は
“二日後からヴィザは不要だよ” と言った。私も知っていると答え、記念にここで写真を撮っても良いかと尋ねると、少し戸惑いながら
“OK”してくれた。VISA掲示板と一緒に写真を撮る。我々は、最後のヴィザ申請者かもしれないと思いました。
この間全部で10分位、当然入国審査官は我々の来るのをボックスから出て待っていた。
ここは、1分と掛からなかったし、係官の気むずかしさも無い。
迎えの車で、約20分位でダウンタウンのホテルに着く。
リーガはタリンに比べると、かなり大きな街と感じた。
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4日目 ホテルはコンベンタセッタと云う処で、元は修道院だったそうです。こぢんまりとしたホテルですが、
私はお気に入りでした。
この日は、ガイドが女性のダイガ、ドライバーは40歳位のザリナで、此処でも車はBMWでした。
リーガ市内の観光。この街は、バルト3国の中では一番大きい町ですし、タリンと比べると経済活動もかなり活発で
有ることがうかがえる。
ユネスコの世界遺産は、各時代の様式を取り入れた建物が多く有ります。
また旧市街地、リーガ大聖堂等は、歩きながらの観光に最適でした。
琥珀は、この露天で売られていて、首飾りの安いのは200円程度から有ります。案外この程度の品が良い
お土産になりました。と云うのも中クラスだとプラスチックと錯覚され、安い品は正しく安い琥珀と解釈される訳です。
“料理長ウイルヘルムス”の看板が店先にあるパンケーキのお店は、とっても美味しいです。
広場の近くのビルの2階にインターネットクラブがあり、1時間2ラツ(360円)位でできます。尚、受付より2台目の
パソコンには、日本語環境をセットしておきました。また、お気に入りには、私共のHPを登録してあります。
ここから、日本IBMの福島さん及びドイツに滞在中の鈴木まりさんにメールを送りました。
5日目 朝食後、乗用車にてリトアニアのカウナスに向かう。この日は、ドライバーのオレグと私共3人での長旅となりました。
リーガを出て1時間位で、バウスカという村に着きました。程なく、国境に差し掛かり出国、リトアニアへの入国手続きと
5分位で無事終えました。
尚、本日4月1日からは、ラトヴィア入国ヴィザは不要に成っているはずです。
この辺りの景観は、今までとそう大きくは変わらないが、道路、電柱等のインフラが良く成っている様に見受けられます。
出発して約3時間、トイレに行きたくなり、オレグにその旨を伝えると、“OK”の返事だった。しかし、10分、20分過ぎても
なかなか停車しない。彼も使用可能なトイレを、一生懸命探しているのは判るのですが、殆ど車の通らない道路端で
良いのですが、兎に角、急いで欲しいと妻からの依頼……
程なくGSで、トイレを借りる。水洗、トイレットペーパー、手洗い、手拭きタオル等どれも立派なものでした。
借りたトイレの鍵と1ドルを渡して、お礼を言う。
途中携帯に連絡が入る。カウナスのガイドが遅れを確認しているようでした。
結局到着したのは、午後の1時頃で、所要時間は3時間30分でした。
ここでのガイドは、女性のジュレッで、旧市街を歩いて観光しました。このカウナスは、芸術学校が有り、多くの優秀な
芸術家を送り出しているとのことです。土産品店では、立派な絵画が多く売られていました。
洒落たカフェがあり、中に入りましたが時間が無く飲食は出来ませんでした。中には二人のリトアニア女性がいて、
明るい笑顔を頂きました。
センポ・スギハラそうこの町では、この名前は大変有名です。
私が、この人を知ることに成ったのは、20年以上も前のことでした。その後、テレビで放映され改めてこの人の
素晴らしさに感銘を受けるばかりでした。
そう、ここは杉原千畝氏が勤務していた日本総領事館があった場所です。
高台のこの家は、思っていたより小さく、また質素なものでした。目を閉じれば、僅かながらその光景が浮かぶようで、
胸が痛みます…・
私に出来ることは、まさに正しいと思うことは正しくしなければいけない…・・
暫くしてこの地の思いを後に、ヴィリニュースに向かう、2時間位で到着。ホテルは、ダウンタウンの川向かいある
シャルーナスでした。部屋は、驚くほど広く、設備もしっかりしていて、フロント、レストラン、スタンドバー等の
対応も良くお薦めいたします。
尚、新婚旅行では中心部にあるスティクレイは、その気分をより高揚させる事でしょう。
この日の、夕食は旧市街の日本料理店“扉”で、お寿司、手打ちうどん、豆腐等を本当に美味しく戴けました。
しかも、日本よりは安く…・
食後は少し夜のダウンタウンを、気をつけながら散策しました。
6日目 この日は、ガイドが男性のステファン、ドライバーはロシア系のアルヴィダスで、車はBMWでした。
ホテルから30〜40分で、トラカイ城に着きました。この辺りは、湖が多くありこのお城も湖の小島に
造られております。ヨーロッパ等で見受けられるお城とは、その華やかさは随分劣りますが、各国から
戴いた品々等結構楽しめます。琥珀の出店もあり、ここでお土産を手に入れることをお薦めします。
帰り道、郊外のリトアニア料理店で降ろしてもらった。今日は日曜日ということなのか、小さな子供連れの
家族が多くいました。この就学前と思われる子供達は、何処の国も同じで、元気良く走り廻っていました。
サラダ、パン、スープ以外の料理は、余りお勧め出来ません。兎に角、量が多いです。
食後は、タクシーで新市街まで行き、数時間の散策をしました。この辺りは、バルトの中で一番近代的な
街並みと成っています。
今夜の夕食は、ホテルのレストランで戴くことにしました。
7日目 午前中は、ヴィリニュース市内の観光。小高い丘からの眺めは、一見の価値があります。
殆どは、歩いて旧市街を観光しました。ヴィリニュース大学は、各国からの留学生が多く学んでいます。
日本の学生も2人いるそうで、頑張ってください…・
午後軽い昼食後エアーポートまで送ってもらう。この空港も、客がいない。出発まで少し早いが
チェツクイン、簡単な出国審査。二階のカフェでコヒーを戴きながら、搭乗を待つ。
これ又同様に、免税店、スタンドバーもあるがとにかく人が居ない、搭乗までもう少しだと云うのに…・・
ここも高翼プロペラ機で定員40人位、今回は20人位でした。
航空会社名は、リトアニアエアーでした。
4時頃コペンハーゲンに向け離陸、2時間位で到着。
ここで、ちょっと失敗をしました。バスに乗ってターミナルに着いた後、他の人達と同様に二階に上がりました。
ここは、何時も利用しているロビーです。バッゲージの受け取り、入国審査の場所が判りません。
係官に尋ねて、一階と判り急いで向かう、そこには2〜3の入国審査ボックスがありました。
二階に上がらずそのまま進めば良かったのです。
今度は、初めての電車に挑戦します。コペンハーゲン中央駅までの切符をドルで買いました。
この切符では、乗る時刻の電車が指定され、改札は有りません。
無事に中央駅に着き、タクシーで近くのホテルまで頼むと、少し嫌な顔をされました。
バルトの国々では、この様な事は有りませんでしたが・・
8日目 今日は、前回入園出来なかったチボリ公園を訪れる事にしました。
午前中は中央駅の前のチボリ公園で楽しみ、午後この駅よりエアーポートに向かう計画で、
先ずはスーツケースを中央駅のコインロッカーに預けて置こう思い、事前にその場所まで行ってみる。
と、そこに二人連れの日本人女性がいた。札幌、旭川出身の20歳の留学生で、一年間スウェーデンに
留学して一ヶ月ヨーロッパを旅行して帰るそうです。その後に判ったのですが、北欧に短期留学している
若者が結構いるようです。しっかり勉強してくださいね……・
ところで、チボリ公園ですが、この時期閉鎖中で4月14日からオープンするとの事でした。
今回もチボリを訪れることが出来ません。残念です。妻いわく、次回で良いですと…いとも簡単に……・
取り敢えずホテルでチェックアウト、コインロッカーにスーツケースと終えた。
またまたこの中央駅でバックパッカーの日本人男性を見かけ、声を掛ける。彼の格好が、タリンで
見かけた人に似ていたので確認すると、そう正しく彼でした。カフェに入り、コヒーを戴きながら
色々な話をしました。ラトヴィアへは、ヴィザが無く入国出来なかったそうで、1日後なら、
入国出来たのですが…・・
今ならヴィザが要らない事を教えて上げると、もう一度行きますと言っていました。
彼、大山君は、東久留米の人でした。本当にビックリしました。特にバルトでは、日本人らしき人は、
彼を見かけたのみでしたし、又ここでお会いするとは……
彼も、4月末までヨーロッパを旅行して帰るそうです。それでは、我々はお先にと
…・・残りの時間を、散策、ショッピングモールでの買い物と過ごし、お昼は中華料理のテイクアウトの
ピラフと焼きそばを、市庁舎前の広場のベンチで大変美味しく戴きました。
また此処で一つ失敗を致しました。
駅に帰りエアーポート行きの電車のスポットNoと時刻を確認して、切符を買いました。
程なくそのスポットに行くと電車が停車していた、急いで乗りました。ところが予定の時刻より5分程
早く出発したので、慌てて隣の人に確認すると間違った電車で有ることが判り、次の駅で降りることに
しましたが、その親切な方が車掌を連れてきてくださり、2つ目の駅で降り別な電車に乗り換えれば良い
と教えてくれました。云われた駅で降り、別なスポットで幾らか待った後到着した電車に乗り込みました。
行くこともないであろうローカルな光景を車窓から見ることが出来、妻はこの事をいたって喜んでおりました。
結局、30分位の遅れを取りましたが出発まで十分な時間が有りましたので、また楽しい思い出が出来た
ことに成りました。
この出発ロビーは、随分見慣れる事となりました。今回の旅行も、そろそろお終いになろうとしています。
最後のお土産として、トレーナー、チョコレート等を買い、後は出発を待つのみでした。
9日目 午前中に成田に到着。
スーツケースを宅配に頼む。夕方配達されるとのことでした。帰りも京成の特急を利用する事にした。
これが一番早く着く。会社に連絡を入れ、午後出社する事を伝えた。
この旅行も、やっと終わりを告げる。後は、自宅まで無事に帰ることです。
今回の旅行では、初めての国々で色々心配でしたので、事前にインターネットから色々情報を得ました。
その中で、冨中さんと鈴木まりさんの情報を最新のものとして利用させて頂きました。
ご両人に、あらためてお礼申し上げます。バルト情報有り難う御座いました
ラトヴィアのヴィザは、4月1日から不要となっています。
この年の春は、バルトの国々にとっては平年通りで、各都市で朝夕では5℃位、日中では10℃位で、
用意していたダウンジャケットは、役に立ちました。セーターは必需品でした。もっともエストニアの
タリンでは、手編みのセーターが安く手に入るので現地調達も良いかと思います。
食費代は安くてすみます。正規の食事ですと結構量が多くて食べ切れません。
そこでお勧めが、カフェでの食事です。色々なお店で楽しんでください。
他の国も同様な事が言えます。そう各国にマクドナルドもあります。
この国々の人達は、ロシアよりむしろ北欧の人達に近いように見受けられました。
エストニア、ラトヴィア、リトアニア
大変良かったと思います。往復路の機上でアイスランドに行かれた横浜の渡邊さんご夫婦と
お話をいたしました。オーロラが、言葉ではあらわせない程素晴らしかったと伺いました。
我々も今回の旅行は、当初アイスランドの予定でしたので…・・
更に、このご夫婦も私共と同じ担当者、フィンツアーの野々村さんでした。
追記
間違がった記述をしているところも有るかもしれません。その節は、平にご了承下さい。
濱 田 敏 秀 2000年5月 5日